【働き方改革】俺も昔は苦労した、と語る老害達へ

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こんにちは。吉田(@goodda_good)です。

あなたの周りに「俺も昔は苦労したもんだ」と言いながら、いまいち何の役に立つかわからない作業をさせる人はいませんか?
はたまた、「若いときの苦労は買ってでもしろ」といって、本来の業務と全く関係ないことを業務時間外にやらせる人はいませんか?

彼らは頼んでもいないのに、こちらに何の得もない非合理的なことを強要してきます。
いったい彼らはどんなことを考え、こちらに非合理的なことを強要してくるのでしょうか。

今回は、こんな老害の思考メカニズムについてご紹介します。

    目次

  • 苦労を負わせる老害たちの思考:善意Ver
  • 苦労を負わせる老害たちの思考:悪意Ver
  • 苦労なんて負わせなくても勝手に生まれる
  • 既存の苦労を取り除いてあげるくらいがちょうどいい

苦労を負わせる老害たちの思考:善意Ver

なぜ老害たちは若者に苦労を負わせるのでしょうか。

私は「若者に無駄な苦労を負わせる人」を老害と呼称していますが、2パターンあると思っています。
それは、「善意で言っている人」と「悪意で言っている人」の2パターンです。

しかしながら、どちらのパターンだとしても、無駄な苦労を負わせていい理由にはなりません。
よって、言っている人がどっちのパターンなのか見極める必要があります。

まずは、「善意で言っている人」です。
こういう人は若者を見て、どうやったら若者を成長させられるのか、を考えている人です。

そして、自分の過去を振り返ってみますが、人は成功した体験よりも、理不尽な体験のほうが記憶に残っているものです。
「トラウマ」という言葉もある通り、嫌な記憶というものは脳に定着しやすいものです。

よって、それを自分がここまで成長できた主要因だと「勘違い」してしまい、同じ苦労を若者にさせれば成長するのではないか、と考えています。
むしろ、自分がした苦労以外で若者を成長させる自信がない、と言い換えてもいいかもしれません。

人が人にアドバイスをするとき、基本的に自分の記憶の中にある体験を引っ張ってきます。
そして、自分の体験と言えば、すぐに出てくるのが理不尽な苦労体験なので、それを語ってしまいます。

イチローの成功話をしても、多少は響くかもしれませんが、自分はイチローではないので多くは語れません。
自分の体験ならば、自分で一部始終がわかっているので、動機も成果も苦労も語ることが出来ます。

なので、こういう善意で言っている人は適当に受け流しましょう。
気持ちだけ受け取っておくに限ります。

まぁ酒の席でダラダラ喋られるとウザいんですが。

苦労を負わせる老害たちの思考:悪意Ver

しかし、みんなが良かれと思っているわけではありません。
中には悪意のある人もいます。

そういう人たちは、何の苦労もなく今あるテクノロジーや環境を享受している若者が気に食わないのです。
よって、自分が辛かった時のことを共有してほしくて言ってきます。

これは私が常々言っている軍事教練に基づいた、部活動が大きな原因でもあります。
たとえば、「一年生は球拾い」という慣習は、球技の部活動はお約束だと思います。

しかしながら、一年生全員が全員、球拾いをやる必要があるのでしょうか。
年次に関係なく球拾いを交代でやったほうが、みんな成長出来ます。

もっと言うと、二年生よりポテンシャルのある一年生に球拾いをやらせていたら、チームの損失ではないのでしょうか。
部活動がお遊戯クラブでないのなら、優秀な人間を優先して育てたほうが、競争力は上がるのではないでしょうか。

こんな価値観を学生時代から強要されていたら、それが常識と思ってしまうのも無理もありません。
そんな文字通り「学生気分」の人間が社会人になってしまうと、悪意を持って若者に苦労を強要します。

しかし、こういう人は根がヘタレで卑怯な人が多いので「何の苦労もなく生きているお前が気にくわないからやれ」と言う勇気はありません。
そもそも本人も、学生時代からなぜ理不尽な体験をやらせれたのか、理由がよくわかっていません。

よって、そういう時に便利な常套句として「俺も昔は・・・」「若いときの苦労は・・・」が使えるのです。
これは世間的によく言われている言葉なので、若者がおかしいと主張しても、老害たちは「常識だろ(笑)」で流そうとしてきます。

しかし、その思考は正しいのでしょうか。
老害が今まで味わってきた苦労を取り除いたら、若者は全く苦労しなくなってしまうのでしょうか?

苦労なんて負わせなくても勝手に生まれる

ようやく本題ですが、私の持論として「苦労なんて負わせなくても勝手に生まれる」と思っています。
以下がその例です。

今はもうほとんどありませんが、「客や目上の人にメールを送るのは失礼」という意味不明な理論がありました。
そういう時は電話で連絡を取っていたようですが、私としては「なぜメールがNGで電話はOKなのか。そんなこと言うなら電話も失礼だから直接会いに行けよ」と思っていました。

今の時代もっとひどいのは「メールを送ってそのあとに電話をかける」という意味不明なパターンもあります。

緊急の時ならわかりますが、平時でもたまにやる人はいます。
こういう人は「無駄とも思える苦労を掛けてあげると客の心に響く」と思っています。

しかし、日々の生活の効率を上げずに、既存の苦労を丸被りしながら生きていたら、新しい苦労が重なって降ってきます。
そんなことをしたら、日本全体で生産性が下がり、諸外国との競争力は減るばかりです。

先の部活動の例でも挙げましたが、無駄な苦労を無駄に被ってしまうばかりに、チームとして競争力が上がらなくなってしまうのです。
本当に部活動教育は日本のガンとしか言いようがありません・・・。

ちなみに私はそういった慣習が嫌いでしたので、部活動は中高大含めて一切入っていません。
よって、他人に苦労を負わせたい人の考え方を実はよくわかっていません。笑

既存の苦労を取り除いてあげるくらいがちょうどいい

というわけで、既存の苦労というものは、自分たちの代で終わらせるくらいの意気込みがちょうどいいのです。

これから生まれてくる人たちは、おそらく我々の時代では想像もしえなかった課題が必ず生まれてくるはずです。
「何の苦労も経験しないで生きていくなんて将来が不安」とか言っている人のほうが不安です。

こういう人がオレオレ詐欺だとか、フィッシングメールに引っかかるんでしょう。
過去の苦労のみが本当の苦労だと思っている人は、「新しいテクノロジーを使った新たな苦労」が身に降ってくるなんて、到底想像出来ません。

また、既存の苦労をドヤ顔で語る人も、結局昔の苦労なんて知りません。

たとえば、江戸時代の「辻斬り」なんて、今の時代にはない苦労です。

辻斬(つじぎり)とは、武士などが街中などで通行人を刀で斬りつける事。
引用元:Wikipedia

通り魔、と言葉を換えれば今でもあるかもしれませんが、真剣で切りかかられる、なんてことは今の時代ないと思います。

これは現代の銃刀法違反により、抑制されているといっても過言ではありません。
これもつまりは既存の苦労「だった」わけです。

また、もう少し最近の話ですと、明治時代の「ガス灯」です。

ガス灯(ガスとう)は、ガス燃料の燃焼による照明。
引用元:Wikipedia

現代の外灯と言えばLEDです。
台風や大雨にさらされても、よほどのことがない限り消えることはありませんが、ガス灯はLEDほど耐久性はありません。

夜道の外灯が消えてしまえば、現代ほど道が舗装されていない明治時代はかなり危険だったでしょう。
これも技術の発展により生まれた蛍光灯やLEDのおかげで、夜道を安全に通ることが出来るようになったのです。

これらは、私も含め、今いる老害たちは全く知らない「苦労」です。
これらの苦労を知らないくせに、自分たちの苦労だけは若者に強要するっておかしいですよね?

よって、現代を生きる我々でも老害でも、未来の人たちに既存の苦労を負わせて良いわけがないのです。

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コメント

  1. 名無し より:

    老害だけの責任にして自分は関係ないってか?世の中甘くねーよ、お前も老害なんだよもう。

    1. 吉田 より:

      コメントありがとうございます!

      おそらく、ちゃんと記事読んでないか、理解力が足りてないかのどちらかだと思いますが、質の低いコメントはどのように返したらいいのかわからないので難しいですね。

      あと、そうやって世の中甘くないと妄信して価値観を押し付ける人は、勝手に自滅したり他人に余計な節介を焼く傾向にあるので、やめましょうね。
      私はあなたみたいな年ばかり食ってるオコチャマの言うことは気にしませんが、普通の人にはとても迷惑です。

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